振り返ってみると児童書や十代の頃に読んだ本でものの見方が形成された感があり、印象深かった本について一冊ずつ感想を書いていく連載です。
めくるとそこにはいったいなにがあったのか、一緒に考えたり、おのおの思い出してもらえたら嬉しいです。
小さな頃に読んだ本って、物語のおおすじよりも細部が頭にこびりつきがちだなと思います。目の前の文字の羅列を追ってるだけなのに、心の視野に浮かんでくる不思議な情景や、味はどうしてもわからないけれど、とにかくおいしそうな食べ物の様子がのちのちまで忘れられない、ということがよくあります。むしろそれらの印象が、物語を侵食し、大人になって読み返してみると、考えていたのとまるでちがう話だったと、けっこう衝撃を受けたりします。
私にとってはドイツの児童書『大どろぼうホッツェンプロッツ』がそうで、やたらおもしろいと感じていたわりに、脳みそにしみついていたのは「とにかくジャガイモがおいしそう」という印象でした。読み返してみると、大どろぼうに拉致された少年たちへの仕打ちがかなりひどかったり、魔法使いも妖精も次から次へと出てきたり、とにかくスペクタルなのですが、私の中に育っていたのは、本当にただただ「ジャガイモがおいしそう」でした。
『なにしろお昼には、七さらのマッシュポテト(うらごししたジャガイモ)をたべ、そのうえまた、夕食には、六ダース半ものジャガイモのだんごを、タマネギのソースにひたして、たいらげたのです。』
『きんちょうした一日も、これでおしまい。家にかえれば、たらふくたべられるのです。きっと、ジャガイモのからあげが、もうできていて――きっと、よいにおいがしているにちがいありません!』
いずれも、悪い魔法使いが主語なんですけど、主食が米の日本の子供から見ると、背徳のおいしさにあふれているというか、こんな量が食べられちゃうほどジャガイモがおいしかったんだ、というのと、特にすばらしいと思うのがふたつめの文章の「ジャガイモのからあげ」で、今の言葉で訳したら「フライドポテト」になっちゃいそうなところが、「ジャガイモのからあげ」、なんですね。
「ジャガイモのからあげ」なんて言われると、ジャガイモを半分の半分の半分くらいに切ったやつが黄金色にカリッとあがっていて、かじると中はホクホクで……みたいな想像がどうにも広がってしまい、文字から味覚を誘われる体験というのは、私にとってこの本が原点だった気がします。
敵役のほうの食欲の話であることもツボで、悪いやつらをつかまえようとする少年たちよりも、大どろぼうや魔法使いに共感を覚えてしまう善悪のあいまいさも、この本の大きな魅力です。
このせいかわからないけれど、私は今でもとてもジャガイモが好きです。
小さな頃に読んだ本の、想像上で堪能した食べ物を、大人になるまで脳内にずっとしまっておくこと。大きくなって実際にそれとめぐりあったとき、食べ物の背後に広がる物語の気配が、その味をもっとおいしくするんじゃないかな、と思います。

『大どろぼうホッツェンプロッツ』
おばあさんが大切にしていたコーヒーひきが、大どろぼうホッツェンプロッツにぬすまれた! 孫のカスパールと友だちのゼッペルはホッツェンプロッツを追いますが……勇敢な少年たちと天下の大どろぼうの知恵くらべがはじまります。 スリルとユーモアいっぱいの大冒険物語。