振り返ってみると児童書や十代の頃に読んだ本でものの見方が形成された感があり、印象深かった本について一冊ずつ感想を書いていく連載です。
めくるとそこにはいったいなにがあったのか、一緒に考えたり、おのおの思い出してもらえたら嬉しいです。
「本を読む」ことが人生にどんな作用をもたらすか、初めて教えてくれたのが『マチルダは小さな大天才』でした。お話がおもしろいのに加え、挿絵が好きすぎて、何回も何回も読みました。自分よりずっと幼いのに、本をめちゃくちゃたくさん読んでいるマチルダがとにかくかっこいい。4歳の彼女の家庭環境はひどく、父親は悪徳自動車売買業者、母親はそんな父親を誇っているテレビ好きな主婦なんですが、2人はマチルダにあまり関心がありません。1人いる兄のほうにはまだ目をかけています。男の子だから。平日、父は仕事、兄は学校、母親は町へビンゴをしに出かけ、ひとり家に残されたマチルダは村の図書館に通うようになります。小さい子を置いてビンゴに出かける母親なんて、いる!?と初めて読んだときは信じられませんでしたが、大人になってから読みなおしたら世界のどこかに必ずいそうな母親像でした。なにはともあれマチルダは、村の図書館の児童書を読み尽くし、ディケンズ、スタインベック、ヘミングウェイなど、大人の本の世界にのめりこんでいきます。小さな自分の寝室で重たい本を膝に置き、ホット•チョコレートを飲みながら物語に没頭する幸福そうなマチルダの姿に、小学生だった私も、この本をとおして没頭していました。
そして、育児放棄気味の両親のもとで育ったマチルダがやっと入れてもらえた小学校は、暴力的な校長先生が支配する恐ろしい場所でした。読み手はマチルダやその友達、やさしい先生ミス•ハニーが受ける仕打ちに憤怒し、マチルダが繰り出す痛快な仕返しにワクワクしながらページをめくります。両親も校長先生もとことんひどく、しかし、こういう大人、いるよね…みたいな表現が随所でなされ、誇張されたユーモアはありつつも不思議に現実と地続きです。校長先生だって、その暴力のすさまじさはややファンタジーですが、聞く耳をもたずひたすら自分に従わせようとしてくる理不尽な言動は、私たちのまわりにもきちんと存在していそうです。家庭でも学校でもこんな環境にいたら生きる気力を失っちゃうよなあ…と思うのですが、マチルダはちゃんと怒ります。ちゃんと怒って、反撃することができます。
こんな文章があります。
「怒りが体の中で煮えたぎっているのを感じた。自分の親をこんなふうに憎むのがまちがっていることは、知っていた。しかし憎まずにはいられなかった。いろいろな本を読んだおかげで、マチルダは、もう、親たちがこれまで一度も見たことのない人生の見方を身につけていた。」
マチルダの体の中には、本のおかげでたくさんの物語が入り込んでいました。物語たちはときにマチルダの逃げ場となり、マチルダが自分を俯瞰するための、大きな助けとなりました。わたしが良いなと思ったのは、マチルダが本を読んで、自分はこうあるべき、と、ひとつの方向に導かれたわけではないことです。なにかを目指すのではなく、人生にはたくさんの方向があるのだと知って、そこから自分で考えて、自分の行動を決めました。生まれた環境にくっついてるものとして、「親」を切り離すなんて簡単なことじゃないけど、自分が「親」の「子ども」であること以上に、さまざまな可能性のある一人の人間なのだとマチルダは本から知りました。『マチルダは小さな大天才』がきっかけで、本を読むのが好きになった人間はたくさんいるだろうと、わたしは固く思っています。

『マチルダは小さな大天才』
4才ちょっとで図書館の本を読破しちゃった、天才少女マチルダ。ところが両親ときたら、そんな娘を「かさぶた」あつかい。学校にあがると、凶暴な女校長がいて、生徒たちを痛めつけている。横暴で悪どい大人たちに頭脳で立ち向かうマチルダの、痛快な仕返し大作戦!