第四回『ルドルフとイッパイアッテナ』

振り返ってみると児童書や十代の頃に読んだ本でものの見方が形成された感があり、印象深かった本について一冊ずつ感想を書いていく連載です。

めくるとそこにはいったいなにがあったのか、一緒に考えたり、おのおの思い出してもらえたら嬉しいです。

 

ルドルフとイッパイアッテナ

 ルドルフとイッパイアッテナは、小学生のころ何回も読んだことがあって、挿絵も飽きるほど見て、おもしろくてたまらなかった気持ちだけが残り、しかし肝心の内容をすっかり忘れてしまったので、もう一回読んでみたところ、思いのほか猫目線な本でした。

一人称が「ぼく」、主人公のルドルフで、ルドルフと友達のイッパイアッテナが感じた猫同士の友情や、人間の世界が仔細に描かれています。

作者の斎藤洋さんによるあとがきにも、この本は猫が書いて、僕は猫が書いた原稿をもらっただけ、というようなことが書いてあり、ここまで猫が書いたという設定が徹底していたんだ、と驚きました。

本文のフォントも他の本だとあまり使わないようなフォントが使ってあって、文字を目で追うと頭の中で聞こえてくる音声が、いつも読んでる本とは違うような気がして、そこからも、人間じゃなくて猫が書いたのかも感が感じられました。


そして文章そのものも、児童文学の名手が全力で子どもたちをだましにかかっているというか、読むと自分が猫の目線になれるような臨場感たっぷりの表現がたくさんあります。

いつもの自分の目線より、高さがぐっと低くなり、地面にとても近くなります。

人ごみを通り抜けるときの、「ぼくは、だいこんみたいな足を何本もくぐりぬけて、走りに走る。

おっと、こいつはずいぶんかかとのとがったくつだ。

こんなのにギュっとやられたら、足にあながあいてしまうぞ。」とか、池を飛び越えるときの、「ジャンプ!からだ全体がのびて一本の矢のようになる。

水の上は、土の上より空気が冷たく、しめっている。鼻でそれがわかった。」とか。

猫の身体性になりきって、今にも鼻がひんやりとしてきそうです。

 

 現在、小さい子どもを育てていて思いますが、自分がいつも見ている風景って自分が自覚するよりもずっと限定的です。

たとえば、回転寿司屋で子どもが食べ物をテーブルの下に落としまくり、腰をかがめてそれらを拾っているとき、私はそれを思います。

床と壁が接して直角になっているところに、ほこりがたまっていたりとか、自分たちより前にいた客が落としたであろう乾燥したうどんを床に発見すると、今まで知らなかった風景だ、と感じます。

間違いなく良い気持ちはしませんが、子どもがいなかったら、飲食店の床とこんなにも出会うことはなかっただろう、と思います。

だから、子どもが落とした食べ物を拾うのは、めんどくさいなと思うんですけど、同時に、視野が広くなったなあ、と感動している自分もいます。

瑣末な例をあげてしまいましたが、これをもうちょっと広げて、さらに立場や環境が変わったら、仮に私たち人間が猫になったら、私たちのことや世界はどう見えるんだろう、ということが書いてあるのが『ルドルフとイッパイアッテナ』だと思います。

そして違う立場に立つことのおもしろさ、自分が生きている世界を限定的にしないことの大切さも、この本を読むと知ることができる気がします。

 

『ルドルフとイッパイアッテナ』

猫と人間、それぞれの愛と友情の物語。ひょんなことから、長距離トラックで東京にきてしまった、黒猫ルドルフ。土地のボス猫と出会い、このイッパイアッテナとの愉快なノラ猫生活がはじまった……。

 

著者紹介

三好 愛 ai miyoshi
装画や挿絵を中心に活動するイラストレーターです。著書に、エッセイ集『ざらざらをさわる』(晶文社)と『怪談未満』(柏書房)と絵本『ゆめがきました』(ミシマ社)があります。
 

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