この連載は、京都で生まれ、東京で働き、今のところ福岡にいる書店員の私が、読んだ書籍や思い出した日々のことについて綴るエッセイです。
生活のなかで、とぎじるのように流れていくような些細なことがらを書いています。
実家では、黒い洋犬を飼っていて、春に14歳を迎えていた。
2週間前に会ったとき、犬はもうすっかりくたびれていて、免疫力が落ちたせいか、皮膚炎も治りにくく、見るからに具合が悪そうだった。
久しぶりに実家に帰った私がその姿を見て、「かわいそう」と泣きながら刺身を食べるので、大人になってからの私の泣き顔を見たことのなかった両親は、驚いたり心配したりしていたが、でもそのとき私は「犬がかわいそう」とは別の理由で泣いていた。
調子の悪くなった犬を見るのはつらかった。犬は何も悪くないのに、年末に知り合いが来て犬を見たらその様子に驚くのではないかとか、ショックを受けるのではとか、そういう風に思ってしまう自分が嫌だった。
ちょうど、その少し前に読んでいたのが、伊藤礼の『旅は老母とともに』(夏葉社)というエッセイ集で、その中の「犬のいる風景」という話に、お腹に水の溜まった犬の話が出てくる。犬を獣医に見せる主人公の男は、腹からすっかり水を抜かれて、ひときわ脂肪のなさが目立つ犬を、「なにかたっぷりした毛皮を着たような女のよう」とたんたんと描写している。読んだとき、なんて冷静な視点かと思ったはずだったのに、今となっては私も似たようなものなのだった。
実家の犬が亡くなったのは12月24日の午後で、この連載のことを担当の方と電話で話した13時頃には犬はまだ生きていた。電話では、連載の内容について「犬の散歩の話とかでもいいですよ」という話が出ていた。その犬の散歩はもうできなくなってしまった。
クリスマスなので街にはイルミネーションがキラキラと輝いていた。なにもこんな日に亡くならなくてもいいのにと帰宅する途中、道路の向こうの店の扉に実家の犬と同じ犬種のシルエットがあった。
お店の名前と犬の装飾のギャップが激しくて、複雑な気持ちで帰宅した。

*後日談*
年明けにまたこのお店の前を通ることがあったのですが、お酒が飲めて、カラオケが楽しめて、店頭にいるラブラドールとも触れ合えるお店のようでした。とても気になっています。
『旅は老母とともに』伊藤礼(夏葉社)
英文学者・エッセイストとして活躍した伊藤礼によるエッセイ集。表題作の「旅は老母とともに」は恒例の母との北海道旅行の道程をユーモアたっぷりに描いている。そのほか、父・伊藤整の遺作から在りし日の家族の姿をたどる「父母のこと」や、闘病する犬と妻の様子を交互に描いた「犬のいる風景」などを収載。さっぱりとした文体のなかに、面白みがあふれるエッセイ集。